たいていの漢字は、いろいろな「部品」が集まって形作られている。こうした部品の中には、部首以外にも、数多くの漢字に共通して使われているものが多い。
通常、同じ形の部品であれば、造字の上でも同じ起源を持ち、意味的にも共通点を持つことが推定される。さらには、部品の集合体である漢字についても、特に会意文字の場合は、個々の部品の意味から、その漢字の成立時の意味を推測することができるのである。
ところが、戦後の漢字改革において、画数の多い文字や部品を簡略化したことにより、形は同じだが由緒が全く異なる部品が多く出現することとなった。このため、常用漢字については、旧字体にさかのぼらなければ漢字の本来の意味を推定することができない場合が多い。(もちろん、漢字の長い歴史の中では、これ以前にも簡略化や統合がなされた漢字や部品も多く、その場合には旧字体にさかのぼっても本来の意味を知るのは困難であるが、ここでは康煕字典と常用漢字との字体の差異を検討対象とする。)
今回は、このような問題を持つ新字体の部品の例として、「ツ」という形を取り上げた。(もちろん、カタカナの「ツ」とは形が若干異なるが、便宜上カタカナで代用する。)
常用漢字には、「ツ」という形の部品を含むものが、以下のとおり多数存在する。これらの漢字について、旧字体にさかのぼり、新字体で「ツ」と表現される部分が本来どのような形なのか、またその形の由来と意味するところは何なのかを探ってみた。結果を以下にまとめる。(字源についての参考文献:白川静「字統」)
なお、「
(ノツ)」も、ツを部品としていると見ることもできるが、由来は異なる。ノツについては
こちらをお読みいただきたい。
①
「學」の上部を「ツ」と略するもの
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「學」甲骨文 |
學→学、覺→覚
「學」の冠部分は、千木を持つ屋根の象形であり、これは民族学で言う「メンズハウス」を意味していると言われる。学舎の原型はこうした集会所のようなものであったのだろう。この冠部分が「學」の初文であり、そこに入る子弟を表す「子」は、後に加えられた。
「覺」は冠部分を声符とする形声文字である。
②
「榮」の上部を「ツ」と略するもの
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「營」金文 |
榮→栄、營→営、勞→労、螢→蛍、(鶯→鴬)
「榮」の冠部分は、庭火すなわち建物の屋外部分の照明のために燃やすたいまつを表し、声符となっている。
「營」は、宮である「呂」の周りに庭火を設けた軍営を表す会意文字という。
「勞」は、鋤の象形である「力」を聖火で清める農耕儀礼を表す会意文字という。
「螢」は形声文字とされるが、自ら光る虫であるからこそ、この部品が用いられていると思われる。
「鴬」は常用漢字ではなく、上記の例に準じて「鶯」から作られた俗字であると思われる。
③
「單」の上部を「ツ」と略するもの
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「單」甲骨文 |
單→単、彈→弾、禪→禅、戰→戦、獸→獣
「單」は楕円形の盾の象形であり、上の二つの口は二本の羽飾りを表すものという。その後、單は部隊を示す語となり、意味が広がっていったとされる。
この盾と戈(ほこ)の会意文字が「戰」である。
「獸」の左上部分もこの盾で、その下の口すなわち祝詞の容器とあわせて、狩猟の前の祈りの儀式を意味するという。これに猟犬をあわせ、獸は元は狩猟を意味する文字だったとされる。
「彈」、「禪」は單を声符とする形声文字である。
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「嚴」金文 |
嚴→厳 「嚴」も同様に上部に口が並ぶが、その由来は全く異なり、祝詞の容器を並べて、祈りの厳かさを表す文字だったという。下部のうちの敢にも謹むという意味があるとされる。
④
「與」の上部を「ツ」と略するもの
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「與」金文 |
擧→挙、譽→誉
「與」は与の旧字体である。四方から四本の手で、与に似た形のもの(白川静氏は「象牙のような貴重なものの形であろう」という)を持ち上げている様を示す。
「擧」は会意文字とされ、與にさらに手を加えて、ものを高く挙げる意味を示す。
「譽」は與を声符とする形声文字とされるが、神から与えられるほまれを意味する。
⑤
「巛」を「ツ」と略するもの
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」小篆 (脳の異体字 =字統による) |
腦→脳、惱→悩
「腦」の旁の下部が頭脳の形で、その上の巛は頭髪を示すとされる。「惱」も同源である。
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「獵」金文 |
獵→猟 「獵」の旁の上部もこれとほぼ同形で、巛は馬の鬣(たてがみ)を示すとされる。
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「」小篆 |
→巣 「
」の場合、木の上に臼に似た鳥の巣の象形を配し、さらにその上に巛を置いて巣の中の雛鳥を表しているとされる。
ちなみに、挨拶の「拶」は、2010年に常用漢字に追加されたが、字形は変えられていない。
⑥
「」を「ツ」と略するもの
櫻→桜
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「櫻」小篆 |
は貝を綴った首飾りで、嬰児のための呪具を意味するという。「櫻」は形声文字とされる。
○〔番外編〕
「臼」を「ツ」と略するもの
鼠→鼡
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「鼠」小篆 |
「鼡」は常用漢字ではないが、鼠の俗字として、JIS第2水準に規定されている。猟の旁と全く同じ形となっているが、猟の場合は前記⑤のとおり、
を鼡と略している。
以上見てきたとおり、さまざまな形の部品が「ツ」と省略されており、學や榮、擧のように、省略されている部分の方が意味の上で重要なケースもある。
また、属する部首が簡略化されたために、新たに部首を作る必要も生じ、現在の漢和辞典の多くでは、「鼡」「単」「営」「巣」「厳」の5文字を部首「ツ」に含ませている。
2)(康煕字典の分類では、鼠は鼠部、單と嚴は口部、營は火部、
は巛部に属している。また、説文解字では、鼠は鼠部、單・嚴は
部、營は宮部、
は
部としている)そしてこれらの文字の「ツ」の部分の元の形と意味は、前述のとおり全く異なるのである。
無原則に部品を省略して同形異源のものを生み出す。そして今度はその形を根拠として分類を改変する。こうした「改革」の結果、形と意味との関連が失われ、漢字は「丸暗記するしかないもの」となってしまったのである。
注1)(財)日本漢字能力検定協会発行「日本語教育研究12」(2006年)所収論考「『ツ』というかたち」を加筆修正。 戻る
注2)「全訳 漢辞海」(三省堂)では、ツ部を新設することはせず、別の部品を部首として選定している。鼡:小部5画、単:十部7画、営:口部9画、巣:木部7画、厳:攴部13画。一つの見識ではあるが、使用者にとって使いにくいものになっていることは否めない。 戻る
参考・引用資料
新訂字統 普及版第5刷 白川静著、平凡社 2011年
康煕字典(内府本) 清、1716年[東京大学東洋文化研究所所蔵]:PDF版 初版 パーソナルメディア 2011年
説文解字 後漢・許慎撰、100年:下記「説文解字注」より
説文解字注 清・段玉裁注、1815年:影印本第4次印刷 浙江古籍出版社 2010年
全訳 漢辞海 第三版第1刷 戸川芳郎監修、三省堂 2011年
画像引用元
甲骨文、金文、小篆 漢字古今字資料庫(台湾・中央研究院ウェブサイト)
JIS規格外漢字(明朝体) グリフウィキ(ウェブサイト)